妻の両親がどう出てきたところで、そんなのはどうでも良かった。
今となれば、その日から別居生活が始まったわけだし、
離婚を現実的に意識し始めたきっかけではあったと思うけれど。

私はまだやっぱり理解してなかった。したくなかった。できなかった。
二人でせーのって判子押して土地を買ったのはたった三ヶ月前だったし、
そこに建て始めた家はもう家になってて、部屋が部屋になっていた。
これから、全てが始まっていくと思っていた。
家ができ家具を選び、子供ができ子育てに奔走し、何でもない大きな幸せが始まると。
「悪い夢を見てる」まさにそれだと思ってた。

全く予期してなかった突然の離婚要求、
やっぱり理解できないし、とにかく納得ができない。何より説明が欲しかった。
でも妻は「もう無理やねん」「仕方ない」「離婚したい」「家は売りたい」
その4つを繰返すだけだった。最終的には着信拒否してきた。

 なあ、妻、よく使うそのチャッキョ(着拒)っていうの、卑怯すぎるで。
 今、誰かといるなら、もうしない方がいいで。話すことは大事やで。

この時、無理やりでも俺に理由をつけてくれたならまだ納得もできたものを。
調停で「価値観の相違」だなんてありふれた理由をこじつけるんじゃなくてさ。
そして、「悪い夢」は「交通事故」いやこれは「テロ事件」みたいなものとなった。
突然、全てのものを奪っていく。不条理すぎる、理不尽すぎるアクシデント。

もう妻には心も体もぶつけられなくなって、
一人になって、眠れなくなって、何もする気がなくなって、
そして、友人達に話した。人に話したのはこれが初めてだった。

持つべきは友だと思った。くさいような言葉だけど本当にそう思った。
毎日、連絡をくれた。毎日、様子を見に来てくれた。
毎回、笑わせてくれた。毎夜、酒を飲んでくれた。
本気で心配してくれる友人達。毎日、彼らがいるからやっていけた。

 なあ、妻、お前、あんまりおれへんかったやろ友達。
 大丈夫やったんか。もうちょっとな、人に心許さなあかんで。
 体許したら簡単に優しくしてくれる、それは哀れやで~。
 まあこれは、せめてもの嫌味を言ってんかもな。

そして、しばらくして、自分の親にも話した。
この日が一番気が重かったかもしれない。
父はキれた。母は泣いた。俺は宥めた。すき焼きは冷めた。

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